思いは今日から、そして、明日へ

日々の体験と学びから考えてきたことを書くブログ

自分を保つためには孤独が必要だ。

僕は普段から一人で行動することが多い。集団で行動することもあるが、一人の方が気楽だ。余計な気づかいもいらないからだ。ただ、時には寂しく思ったり、孤独を感じたりすることもある。

日本では集団行動が重んじられて、一人でいる人を変な人と決め付けて訝しく思う人もいるらしい。一人でいる人が変なのかどうかはともかく、そもそも一人でいることとはどういうことなのか。一人でいることを好んでしている人と仕方なくしている人の両方がいることは承知の上で、それでも何故一人でいる時間が必要なのか。

自分なりに考えてみると、恐らくこういうことではないかと思う。集団に対して迎合しないとか、他人に関心がないとか、KYであるとか、色々と一人の異質な人であろうと思われる人への評判はあまり良いことを聞かないけれども、根本的なところで自分というものを見失いたくないという思いから、集団行動や集団思考といったものに対して警戒する気持ちがあるのではないかと思う。

自分もそれに当てはまる一人だが、一人でいる人の心境というのは集団に入れない人は可哀想な人という単純な考えでは割りきれないと思う。

集団でつくる雰囲気というのは、やはり一人よりも楽しくできたり、規模も大きくなったりと、一人では出来ないことを味わえたりするという意味では、それを体感することを嫌がる人というのは基本的にはいないだろう。しかし、その集団の中にいて、その雰囲気の中に浸りきって、自分を忘れてしまうということに警戒することも必要なのではないかと思う。

特に孤独というものが、そういった集団の中にいる自分を少し客観視する時間を持つと表れてくるものだとすると、ことさらに集団というものを意識しないようにする自分を確立することも必要なのではないか。一人でいる必要性というのはこういうことではないか。

集団でいること、あるいはいられないこと、又は一人でいること、あるいはいられないこと、どれが幸福でどれが不幸というのは一概には言えないだろう。集団でいること、一人でいることの損得と同じだ。ただ、はっきりと言えるのは、人間は本質的に一人であるということを自覚していれば、必然的に孤独と向き合う時が、時期が違えどやってくるだろうから、孤独を出発点に物事を考えていく方が視点も豊かになるはずだ。