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日々の体験と学びから考えてきたことを書くブログ

人間関係で信頼を築くことは相手に真正面から向き合い、傷つくリスクを背負うことだ

人間関係、とりわけ友人関係などの築き方は人によって様々だろう。建前の関係であっても友人と言う人もいるだろうし、第三者にとっては単なる知り合いだという関係を友人と捉える人もいて、友人という定義がほとんど曖昧で決まったものではなさそうだ。

ただ、自分の経験からも言えることは、友人関係というのは、夫婦関係の愛情関係と保つこととほとんど変わらないのではないかということだ。

友人関係には気兼ねなく付き合える側面があり、気兼ねしてしまうのは友人関係とは言いづらいと思う。

しかし、気兼ねなく付き合って、相手の心情も無視して言いたいことを言ってしまうことで、ぎこちない関係になってしまったり、なんとなく疎遠になったりと、その関係を続けられなくなることも多い。

しかし、個人の意見としては、友人関係も実は夫婦関係と同じように、建前や表面での付き合いだけでは、次第に関係が遠退いていくものだと思っている。続けていく努力がやはり必要なのだ。

だからなのか、私にとっては友人関係も夫婦関係のどちらも信頼を持たない関係あるいは持とうと努めようとしない関係は有意義な関係とは思えないし、ほとんど何もないに等しいと思ってしまうのだ。

とはいえ、信頼を築くというのは簡単ではない。信頼を築くには本音をぶつけ合うことが必然であり、それは自分が傷つくリスクを背負って真正面から向き合う関係を持つことと同じだからだ。

そういう関係を持とうとすれば、それを嫌う人が必ず現れる。この「必ず」現れるというのが、リスクを背負うことであり、信頼を持つ関係と表裏一体だと考えている。

夫婦関係が長く続いている夫婦は口を揃えてお互いに誠実であることだと言うが、これはやはり誤魔化しがなく本音を言い合う関係があることと無関係ではないだろう。

友人関係や恋愛関係、夫婦関係のどれを観察してみても続かない関係の特長は相手への信頼や尊敬がみられないことだ。それは言い換えれば、傷つくリスクを負わない自己保身ばかり考えている人のことだ。何か隠し事をしたりして、誤魔化すような関係はやっぱり続いていない。ちょっとしたトラブルから自分の非を認めないといった態度から関係が悪化していく。それはやはり誠実とは言えないだろう。他人に不誠実なのは勿論、自分の弱さを認めず傷つくリスクを負わないのは自分に対しても不誠実なのだ。

最終的には誤魔化しや仮面を被るような関係よりも、本音を言って真正面から向き合う関係が長く信頼されるポイントになるだろうと考えている。

とはいえ、本音ばかり言ってぶつかることばかりでも煙たがられるから、気兼ねのなさと礼儀のバランスをとることになるのだろう。ただ、大人になればなるほど、隠し事は増えていきそうだが隠していく行為自体はつらくなってくように周りを観察していて思う。